sparkles

「花火大会のお知らせ?」
常に雑多なものが掲示されているカルデアの廊下に設置された連絡ボード。そっと掲示されたそれに目を留めたのは偶然だった。
魔術師以外の者もおり、連絡・通信手段をほぼ機械に頼るこの時代に、部屋や共有部に備え付けの端末ではなく、物理的な連絡ボードを利用するのは現代に生きる人間達ではなく、過去の影達であることが多い。
そしてそれを把握しているマスターはじめ、人理が焼却された世界に取り残された星見の船に生きる人間達は、現代に合わせてもらうのではなく、現代の技術を合わせるほうを選んだ。
こうした連絡ボードはいくつかあり、そこに掲示されたものは速やかにスキャンされて端末側の連絡リストに掲示される。逆に端末側で配信された連絡事項は、物理ボードと隣接して設置された端末が人の訪れを感知して表示する仕組みになっていた。
つまるところ、どちらでも同じ情報が拾えるわけだが、あまりにもささやかなお知らせは、紙という媒体の、どこかレトロな雰囲気が似合っていたのだろう。書かれた文字も日本語、ほのぼのとした可愛らしいイラストに飾られたそれを掲示したのが誰であるかなど、この場に居る者なら誰であっても即答できる。
部屋の端末でチェックしていた時は特に意識にも上らず読み流していた情報なのだが、媒体が変われば印象が変わるものだと男は口端に笑みをのせた。
端末を使えば各種言語に翻訳可能なのだが、彼はあえて己の中の知識を総動員して、原文を読むことを選択する。
「んーと……シミュレーションルームを使って、花火大会開催……か」
ふうん。最初に零れたのはそんな感想にもならない声。すぐに裏方として働いてしまうだろう腐れ縁を連想する。
その気配が近く。
確かに男が居るのは食堂にも程近い場所だ。いつ通りがかってもおかしくはないだろう。ただ、良いのか悪いのかわからないそのタイミングに苦笑が堪えきれない。
「たまにはいいか。なあ、弓兵」
突然なんなんだという声には耳を塞いで。こちらを認識して足を止めた相手の前に立つ。
「なにって……花火を見ようぜ、ってオサソイだよ」
軽薄に聞こえぬように言葉を選びながら彼が好きだと自覚しているだろう極上の笑顔を叩きつけてやった。
瞬間、大きく目を見開いてそのまま固まってしまった弓兵は、たっぷりの間をおいてから誤魔化すように視線を泳がせる。その先に例の掲示品を認めたのだろう。ああと息を吐いた。
「マスターが言い出したあれのことか」
「さすがに気付いてたか。んで、おまえさんは何をやるつもりなんだ?」
「何、とは?」
質問の意図をはかりかねた青年は首を傾げ、その様子を見た男はそのままの意味だと笑う。
「どうせ食うモン用意したりするんだろうって思ったんだが、外したかね」
「……いや、外してはいないさ」
流された視線はやはり掲示物の上。
折角日本風のお知らせを出すのならそれに相応しいものを己の力の及ぶ限りで用意するつもりだ。隠しても無駄だと悟った唇が静かに告げた。
「ほう。楽しそうだな」
詳しく聞かせろと告げながら肩に手を回せば、何をすると振り払われる。体勢を立て直すため、大きく飛び退いた拍子に前に回ってきた髪の先は少し首を振るだけで髪留めの重さに負けて背に戻った。
「そう邪険にせんでもいいだろう。別に咎めるつもりはないぜ。オレにもなんかやらせろ、ってだけだ」
「君が、か?」
「おうとも。おいおい、まさかマスターに楽しんで欲しいのはテメェだけだとか思ってねえよな?」
肩を竦めて揶揄いの口調で問えば沈黙が返った。消極的な肯定に、多分に呆れが含まれる溜息を吐き出す。
「テメェ一人で全部やるつもりだったのかよ」
「いや……まあ、そうだな。自分が可能な範囲で、としか考えていなかった」
たしかに。己の他にもマスターのためなら何かをしたいという人物はいるかと。
初めて気付いたかのように洩らすものだから、男は思わず吹き出してしまい、じろりと睨まれる。
抜けているところも弓兵らしい。ひらりと手を振って、笑ってしまったことは悪かったが流してくれと告げて、何か参考資料はないのかと話を進める。
「そうは言ってもな。本当に可能な範囲でささやかにするつもりだったんだ……」
「んじゃまずはテメェがやると決めたやつと、ボツにしたやつの候補を言ってみろよ。オレができるものがあるかもしれねえだろ?」
要請には逡巡する気配を纏わせて口を噤む。
「ま、立ち話もなんだから座って話をしようぜ。こっからだと……食堂に行くか、それとも部屋まで戻るか?」
行き先を委ねられた青年は盛大な溜息分の間をおいてから、いかにも渋々といった体で部屋にと告げた。
委ねられたのは行き先に関してのみであって、要請そのものに対する拒否権は存在しないと把握している。ならばどちらの方がよりマシな状況かを瞬時に叩き出しただろう彼は、部屋を選択した。
誰かに聞かれるかもしれない食堂よりも、二人で完結する部屋のほうが被害が己だけに向かう分まだいいと思ったのは疑いない。
「おっし、わかった。じゃあなんか軽いものでも用意してくれよ。そしたら部屋に行って話し合いしようぜ」
そういえば食事をしにきたのだったと告げた男は、再び落とされた弓兵の溜息に対して、口を尖らせながら原文読んでたら忘れたんだと言い訳を投げつけた。
「端末で読めばよかっただろうに……」
「それじゃ面白くねぇだろ。アレを見た後じゃあな」
いくら呼び出された時代に適応する英霊達でも、細かい地方言語などはきちんと意識しなければ意味のあるものにならない。それは英霊同士の会話でも同じことだが、最低限としてマスターを基軸とした言語は理解可能なように設定されている。
少し、いや、だいぶイレギュラーなこの召喚では、マスターの母国語である日本語よりも、カルデアというこの設備の制御端末やスタッフ達が共通で使うものとして設定された英語のほうが先に浮かぶため、元々母国語としていたエミヤや、真名こそ諸葛孔明とされているが、依り代である人間の方が前面に出ているロード・エルメロイⅡ世などは苦としないだろう。だが、本来なら日本とは縁が薄いと思われるクー・フーリンやアルトリア、メディアやギルガメッシュ、果てはジキルやパラケルススなどまでが日常困らない程度には理解するのだから記憶や記録の制限が無いという状況は面白い。
マスターとて普段なら翻訳しやすいように端末への送信で済ませるのだが、こうしてわざわざ日本語を使って紙で掲示するのは、その行為自体に意味を持たせている時か、隠してはいても少しだけ甘えたい時だと、最古参に分類されるエミヤもクー・フーリンも知っていた。
だからこそ自分にもなにかさせろと告げた槍兵の言葉を弓兵は否定せず、拒否もできない。
「仕方がない。だが、用意をしてから部屋に行くくらいなら食堂でいいだろう。時間が惜しい」
「わかった。じゃあ内側入れてくれ。その方が人が少ねぇし、おまえさんが作業しながら相談できるだろ」
掲示されたお知らせの日付は今日の夜。
端末となっている連絡ボードで時間を確認すればまだ午前中だが、何かをしようと思うのなら確かに余裕はない。
突発的な企画としてささやかに掲示されたものであるそれは、おそらくこの青年をはじめ裏方に回ってしまう面々に仕事をさせたくないという意図によるものだろうが、賢明な男は黙っておいた。代わりに厨房の中で立ったまま軽食を取る許可を求める。
「……やむを得まい。承知した」
弓兵が頷いたのを確認し、連れ立って食堂に足を踏み入れると、昼食にはまだ幾分か早く、朝食には明らかに遅い時間ということもあり、人影はまばらだった。
注意を引かないうちにするりと厨房側に入り込む。途中でこちらを振り返ったブーディカと玉藻の前に軽く手を上げて挨拶とし、さらに奥へ。
食料庫に続く扉の近くに、壁付け埋め込み式のテーブルと椅子が備え付けてあった。テーブルになる棚板部分を引き下ろせば目の前の壁には連絡ボードと同じような仕組みのパネルが設置されていることから、ダ・ヴィンチも一枚噛んでいるだろう。
座っていろと促されて大人しく従うも、視線はあちこちを彷徨う。しばらく中には来ていなかったが、他はそう変わっていないように見受けられた。
「こんなモン、いつのまに設置したんだよ」
「以前に比べて厨房を回すサーヴァントが増えたからな。それに、普段のメンバーには加わっていなくても、時折厨房を使いたいと顔を出す者も居る。万が一担当が誰も居ない時でも対応できるように連絡事項やレシピの共有用に設置したんだ」
食材の備蓄はある程度毎日確認されているが突発事項により狂う事もしばしばある。予定外の使用は予め相談してもらうことにはなっているが、失敗その他で予定よりも多く使用が発生したり使わせてもらったお礼にと別の食材が増えていたりなど、日々変化していく。対応するために考え出されたのがこれというわけなのだろう。
「なるほどなー。確かにそういうものも必要になるか」
己もかかわっている畑の管理のために、似たようなものを用意してもらったことを思い出しながら男は頷く。
「少し待っていてくれ。興味があるならそのあたりにあるものは見ても構わない」
「おうよ。コレってライブラリへの接続もできるか?」
「可能だ。調べ物をすることがあるからな。ネットワークはひととおり使用可能になっている」
即座に返った声に頷いて、食事が出てくるまでの間は調べ物に費やすことに決める。
対象は花火大会の書籍・映像資料。
あるだろうとは思っていたが、予想よりも大量のリストが画面を埋め尽くした。
「んーと……とりあえず適当にあたるか」
画面を分割し、片方には書籍を、もう片方には映像を再生する。こういう時の直感はきちんと仕事をするようで、画面にはまだ日が落ちていない時間に街で、会場に向かって歩くレポーターの様子が映し出された。隣には色とりどりの背景に切り抜かれて並べられた食べ物の写真。
書籍の方はどうも観光案内に近い食い倒れレポートで、映像の方はどこかの花火大会の紹介らしい。映像の方で注目するのはレポーターが概要を説明しながら歩いていくその沿道だ。隣の書籍写真と照らし合わせて何の屋台なのかを把握する。
金魚掬い、チョコバナナ、ヨーヨー釣り、カキ氷、わたあめ、イカ焼き、アイスキャンディー、たこ焼き、りんごあめ、焼きそば、おめん、じゃがバター……流れ行く看板を真剣に追っていると、鼻腔に食欲を刺激する匂いが届いて顔を上げた。
ぐうう、と。盛大に腹が鳴る。
「随分と素直な腹の虫だな。本当に軽食ですまない。もう少し量を用意したほうが良かったか……」
笑いを堪えながらコトリと置かれたプレートに乗っているのはホットサンドが二種類と簡単なサラダにスープといういかにもカフェごはんという組み合わせ。
ホットサンドの具はと見てみれば、片方は比較的シンプルにツナとタマゴ、もう片方はチキンとトマトをメインにバジルとオニオンスライスを加えてあるのか、見た目が華やかである。
「おー、うまそう。食いながらでも話は聞いてるから、とりあえず食っていいか?」
「ああ。冷めないうちに食べたまえ……屋台の映像を見ていたのか」
早速ホットサンドを頬張りながら頷いた男に、本気なんだなと溜息を落とした弓兵は厨房の入り口近くに居た二人には届かない程度の小声で己の計画を語り出す。
「計画といっても、そんなにちゃんとしたものがあるわけではないんだ。ただ、少しだけ祭りっぽい気分を盛り上げることができるように、屋台もどきをいくつか出そうかと思った程度で。私にできるところだと……そうだな、やはり食べ物だろうか」
先に作っておけるアイスキャンディーとカキ氷用の氷はもう手配済だと続ける。やる気満々じゃねぇかとの突っ込みには少しだけ視線を泳がせて、メインは花火のほうなのだからあまり気を散らすようなものがあるのは良くないだろうかと迷う言葉を落とした。
可能ならばあとは飲み物と小腹を満たせるような何かを考えていると告げられて、最初に手にしたホットサンドを飲み込み、スープで喉を潤してから男は口を開いた。
「さっきの映像を見てオレが把握できたもので、その条件に合致するのは焼きそばかたこ焼きかイカ焼き、じゃがバターくらいか」
「確かにそのあたりは定番だ。人が必要になるが、どれかは採用したいところだな」
「お前さんが飯出すようになってからここの連中もかなり日本食に慣れたとは思うが、それぞれの好みに左右されにくいのはじゃがバターじゃねぇ?」
見たままであれば材料もシンプルだと提案理由も告げれば重々しい頷きが返る。
「確かに。ジャガイモなら畑から収穫できることもあり、まとまった数を備蓄から出しても問題無いな。バターも冷凍保存分を使用できる」
「そうか。備蓄問題もあるか……ってなると海産物系は全部アウトだな。取ってくる時間がねぇ。となると消去法で焼きそば……か?」
しかし野菜類はともかく麺が無いかと、代案を考えながらホットサンドの二切れ目に手を伸ばした。
「あるぞ」
ごくん。驚きすぎて思わず塊のまま飲み込んでしまう。
楽しみにしていたチキンとトマトのホットサンドの味は彼方に吹っ飛んでしまった。勿体無い。
「え、あんの?」
「ああ。先日マスターが焼きそばかラーメンが食べたいと言っていたからな。明日あたり出すつもりで、たまたまその時一緒だった燕青殿、李書文殿と作ったんだ。今は保冷室で寝かせてある」
考えてみればこれのフラグだったかと呟く弓兵に、槍兵も同意を示した。二人同時に溜息を吐き出す。
「なんつーか……嬢ちゃんはわかりにくい甘え方すんだよなあ」
「彼女の食べたいは、本当に自分が食べたいという場合もあるが、他の皆に食べさせたいも含んでいるからな……今回の場合は後者か」
「そういうこったろうな。だが、そうとわかったら期待に応えるだろ?」
まるで戦闘に向かう時のように挑戦的な笑みを浮かべた男を前に、エミヤの顔にも同種の笑みが浮かぶ。
「ああ。具材はタマネギとキャベツならなんとか……しかし肉が無いか」
「なくてもいいだろ。ああいうのは雰囲気だ雰囲気。そっちを焼くのはオレがやるとして、そうなるとじゃがバターのほうは人がいるな。誰か手を借りるか……」
むぐむぐ、ごくん。
今度はちゃんとセミドライにされて濃厚な旨味を持つトマトとバジルの爽やかさが絡んだスモークチキンが喉を落ちていく。
「人手が必要かい?」
「あー……そうだよなあ。こんなとこで相談してりゃ嫌でも聞こえるか」
むしろそれを期待していたのだ。突然の声にも驚かず振り返った槍兵の視線の先には何か面白そうだと瞳を輝かせるブーディカと玉藻の前の姿がある。視線を流せば弓兵が眉間を押さえて渋い顔をしていた。
「何やらマスターのための計画のご様子。ここは私も一肌脱ぐ状況かと」
「相談もなしなんて水臭いじゃない。そりゃ日本の祭りは知らないけど、指示してもらえればできることはあるんだからさ」
にこにこと笑う彼女達の手にはタブレット端末。そこに映し出されているのは例の花火大会の案内だった。
「だとよ、弓兵。どうも逃げられん雰囲気だぞ」
「そのようだな」
こういう場合は大人しく従う方が後々問題にならないと経験から知っている二人は諦めて両手を上げた。
降参の意思表示。それでいいと頷いた女性二人は、改めて槍兵に対し食べきってしまえと告げてから、頭を抱える弓兵に向き直った。
「現代で、花火大会ならやはり浴衣でしょうか」
マスターもマシュも華やかな柄が似合いそうだとうっとりした表情で語る玉藻の前に、そちらはわからないから全面的に任せると告げてしまうブーディカを止める力は男二人には無い。
「承知しました。そうですねぇ。せっかくですし、屋台側も浴衣か甚平で揃えるのもアリかと思いますが……」
「そんなにすぐ制作可能なものか?」
問いに対する答えは、増えるようなら難しいが、この場に居る者くらいはどうにかなるだろうというもの。
「そうですねぇ。ああ、次の人材をスカウトするならその辺りにぽこぽこ居る別霊基のクー・フーリンさんにしておけば万事おっけー!! 基本サイズ、同じですよね?」
同じサイズでもう一つ二つ、余分に作っておけばいいだろうと提案する玉藻の前の勢いに押されて、男は頷いた。
確かにクラス違いとはいえ、元は同じものから分かたれている同一人物だ。オルタの尾に関してはどうか知らないが、確かに体格的には同じはずである。歳若い見た目のほうも、さほど違うとは思えなかった。
「いやまあ、そうだけどよ……まあいいか。アイツらだって別に嫌がらねぇと思うし」
「いいわけあるか、たわけ」
これ以上裏方を増やしてたまるかと言わんばかりの弓兵が男の応えを遮る。
「でも現実問題、その方が手っ取り早いですから……諦めが肝心かと」
みこーんと一度跳ねて身を翻す。
「それではでは。完成を楽しみにお待ちくださいませ。何か御用があればヴラドさんのお部屋までお願いします」
明らかに語尾にハートが見える口調のまま、するするとその場を後にする玉藻の前を見送った三人は、改めて内容の相談のために向かい合う。
彼女が採寸すると言いださなかったのは時間がないことが主な理由だ。全サーヴァントが霊基情報を登録しているデータベースを参照するつもりだろう。
その頃には槍兵のために準備された食事は綺麗に彼の胃袋の中に消え去っていた。ゴチソウサマと律儀に手を合わせた男に、青年がお粗末さまと返す。
「ええと……それで、人手が必要なのはなんだっけ?」
「じゃがバターだな。なあ、アーチャー。それならわかりやすいし、頼んでもいいんじゃねぇの?」
「すまない、ブーディカ。頼めるだろうか」
本当にすまなそうに頭を下げるエミヤの後頭部を見下ろしてブーディカが笑う。そんな風に畏る必要は無いと続けて、槍兵が表示していた画面を覗き込んだ。
「任されたよ。そのじゃがバターって、これ?」
「ああ。加熱したジャガイモに適量のバターを乗せただけのシンプルなものだ。コーンを添えることもあるが今回はしない」
「ふうん。ジャガイモって焼くの? 蒸すの?」
「蒸す方がいいだろう。機材はこちらで準備しておくよ」
「わかった。見た限り皮ごとみたいだから土はきっちり落としておかないとだね」
参考のために画面を見るなら邪魔かと、ブーディカに場所を譲った槍兵は食べ終わった皿を片手に立ち上がった。
今は手伝うことも少なくなったが、最初の頃は人手不足だったために何でもやっていたのだ。後片付けも慣れたもので、皿を洗って拭き上げ、配膳台の端に纏められた同じ皿の上に重ねて片付けてから、調理法と段取りを相談する二人の元に戻る。
「よし、じゃああんまり時間ないし早速始めようか。夕食はキャットに任せられるけど、どうしても昼食は作りながらになるし。キミにはこっちを手伝ってもらうからね」
「おうよ。オレで良ければ何でも言ってくれ。ま、細けぇことは向いてねぇけどな」
ひらひらと手を振る男に、把握しているから気にするなと告げて屋台そのものの設営に行くというエミヤを送り出した。
「じゃあ、あたしが昼食の用意している間に、ジャガイモを洗って芽を取るところからお願いするね」
その後はタマネギの皮剥きだと続けられて応と返す。
しばらく用意されたジャガイモとタマネギを黙々と処理しながら、男は思い当たったことを言葉に出した。
「なあ、女王サマ。あいつ、屋台の設営するって言ってたけど何でやるつもりなんだ?」
「そういえば……疑問もなく送り出しちゃったけど、無茶してそうだね」
ちらり。時計を見ればお昼の時間が近付いている。
今日は特に訓練やレイシフトが入っているという話は聞いていない。ならば、昼になればおそらく別クラスの自分も顔を出すだろう。
「なあ、別のオレが来たら呼んでくれるか」
「いいよ。様子を見に行ってもらおうってワケだね」
打てば響くような返答に笑い、礼を返して作業に戻る。
本当なら。様子が気になるなら通信でもなんでもすればいいのだ。
弓兵のほうも予想していないわけでは無いだろう。
だが。賭けてもいいが、その場合得られるのは「大丈夫だ」か「問題ない」という強がりの返答だけだ。そんなエミヤの性格をクー・フーリンもブーディカもよく知っていた。だからこそ搦め手を使おうという意図はなんの疑問もなく承認される。
「おーい、来たよ」
しばらく作業に集中していると、思っていたより早く声が掛かった。
ジャガイモはすでに全て洗い終わり、タマネギも剥き終わった。追加で頼まれたジャガイモに切れ目を入れる作業は残りあと半分というところか。もっとも、この後も何かしら頼まれるのだろうが。
一旦中断してカウンターに近付く。
ブーディカに呼び止められていたのはキャスタークラスと歳若い己の二人だった。
「一緒に来るたあ珍しいんじゃねぇか?」
「別に一緒に来たワケじゃねぇよ。たまたま入り口で鉢合わせたんだ」
口を開いたのはキャスターで、追随するように頷いたのは若い方だ。配膳台の前を占拠して話をするのはブーディカや後から来る者の邪魔になるため、許可をもらって二人を厨房側に引き込む。
「なんだよ。俺、メシ食いにきたんだけど」
「まーそう言うなって。食ってからでも構わねぇから、ちと頼みたいことがあんだよ」
「話なら奥でお願い」
横から掛けられたブーディカの言葉に、食堂との境に近いこの場所では唐突にマスターが現れた時に言い逃れができぬことに思い当たる。
先程まで自分が使っていた作業台のある奥まで進んでから抑えた声を投げれば、何となく察したらしいキャスターが視線だけで先を促した。頷きを返したランサーは、己が厨房でせっせと作業している事情を告げ、おそらくは会場となるシミュレーションルームにいるはずの弓兵の様子を探ってきてほしいと結ぶ。
「あー……そりゃオレじゃダメだな。問題ないの一点張りになるのがオチだ。ってことで若いのの出番だ」
「同感」
ぽむ。
両肩に同時に手を置かれて眉を寄せた歳若いクー・フーリンが溜息を落とす。
「まあ……アイツには主にメシの面で世話になってるし、そんくらいならかまわねぇけどよ」
「んじゃ頼んだわ。んでもってちと待ってろ」
ランサークラスの二人をその場に置いて、ブーディカがいるカウンター近くまで戻ったキャスターが何かしら交渉した上で準備された包みを持って戻ってくる。
同時に彼の手で用意されたのは大振りの水差し。
「ほい、弁当。あとこっちは水だ。ま、歳若い方なら大丈夫だと思うが、うまくやれよ」
「……わかった。んじゃ行ってくるわ」
片手に弁当の包み、もう片手に水差しとグラスを持って出て行った歳若いクー・フーリンを見送った二人は同時に溜息を落とす。失敗するとは思っていないが、どこか歯痒い気持ちがあるのも確かだった。
「んで、あとは何が残ってんだ?」
「あー……そこは厨房の女王サマに聞いてくれ。下準備にも手順があるみてーだからな」
「あいよ。そうさなあ……どうせならカキ氷用のシロップでも作るかねぇ」
無造作に後ろ髪をかき回しながら離れていくキャスターはもはや手伝う気満々らしい。どうせ手伝いを増やすならクー・フーリンにしろと告げられた玉藻の前の言葉が思考の端を掠める。
どこまで本気だろうかと、今更悩んでも仕方がない。その時になればなるようになるだろう。
ジャガイモの下処理を再開したランサーは、疑問を棚上げすることに決めてせっせと手を動かした。

「アンタ、こんなときまで働いてるのな……」
心底呆れた。という声が頭上から降ったのに気付いて作業の手を止めたエミヤはゆっくりと顔を上げた。声からわかっていた通りの顔が逆さまにこちらを覗き込んでいる。
ちゃんと反応を示したのに気を良くしたのか、懐く犬の笑顔が視界いっぱいに広がった。
流れのまま、その手の先にぶら下がっていた水のグラスを受け取って口に含む。
ほんのりと広がるのはミントらしい、爽やかな風味。僅かだが疲れが軽減した気がした。
「ありがとう。おいしいよ」
「ま、それがアンタだ。今更か」
他の者達より歳若い姿で現界した、霊基上のステータス情報にプロトタイプとラベル付けされたクー・フーリン。
彼はよく美味い飯の礼だと言いながら少しだけ口や手を出す。今回も恐らくはそれと同じなのだろう。もう少し飲んでおけと返したグラスが戻ってきた。
特に抵抗する必要も無いと黙って受け取り、今度は半分ほどを空けると、ゆると息が零れた。どうやら自分で思っているより根を詰めていたらしい。
「よしよし。んじゃあ休憩してメシにしようぜ」
「いや、私は……」
そんな余裕は無いと告げようとした瞬間、鼻先に弁当箱が突きつけられる。
「一人で放っておくとずっと作業しちゃうだろうから無理矢理休憩させて、だそうだぜ」
さすがに声真似まではしないが、ブーディカが言いそうな言葉がクー・フーリンの顔から飛び出して、思わず吹き出す。
「ま、俺もそう思うから引き受けたんだけどな。しかもあの女王様、容赦ねぇことにアンタが食べなきゃ俺もメシ抜きなんだよ。だから無理矢理にでも付き合ってもらうぜ」
「人質ならぬ飯質というわけか。なるほど」
エミヤを動かすのなら本人よりも周りに行動させるための理由を作った方がいい。彼の人となりをよくわかっている手口であった。
「君の昼食を私が取り上げるわけにはいかんな。弁当にしてくれたようだし、このままここで構わなければ提案を受け入れよう」
「おう。だいたい最初からそのつもりだろうぜ。持たされたのはこれだけだから水しかねぇけど……」
それで十分だと返したエミヤがその場に腰を下ろし、歳若いクー・フーリンも向かいに腰を落ち着ける。殺風景な箱の真ん中に座り込む男二人の姿は側から見ると面白い。
さっそくとばかりに弁当の包みを開けば、まずは色とりどりの具を挟んだサンドイッチが姿を現した。飾り気のないタッパーの中身を確認すれば、グリルチキン、ベイクドポテト、キャロットラペ、リーフとミニトマトのサラダ、ひよこ豆のミニコロッケなど、お昼に出すはずのおかずを詰めてくれたのがわかる。
「なんだこれ」
底に一緒に入っていたのだろう。クー・フーリンの持ち上げた濡れタオルを見て、エミヤのほうはさすがに用意がいいと笑った。
「おしぼりだな。食べる前に手を拭う用途に使うんだ。普段ならサーヴァント相手にそんなことはしないだろうが、今回は私が作業中で汚れているといけないと思ったから入れてくれたのだろう」
「ああ、マスターがたまに使ってるアレか」
状況が許せばという但し書きこそつくが、やはり現代日本人らしく、マスターの少女も特に外での食事の場合には欲しいと思うことが多いらしい。
厨房を預かる者達も心得たもので、自然とお弁当にマスター用のおしぼりを忍ばせることが増えた。最近では彼女に影響されたマシュも求めることがあるらしい、というのは聞いた話だ。
確かに合理的だと納得の頷きを返す歳若いクー・フーリンは手袋を取り、エミヤの真似をして手を拭いてからさっそくサンドイッチをひとつ口に放り込む。
ひとくち、ふたくち。この男にかかれば大振りのサンドイッチでもすぐに胃の中らしい。
美味いと破顔する様子は見ている方も幸せにする。つられる様に同じものを手に取ったエミヤも、ゆっくりと端から咀嚼した。
さすがに彼のように一瞬ではなくならない。
しゃくりとしたレタスやじっくりと焼かれたベーコン、ふわりとしたタマゴの味が混ざり合って落ちていく。
「ん。これ、アンタの味付けだな」
「……よくわかったな」
彼が次に手にしていたのは骨つきのグリルチキン。味は二種類。ハニーマスタードと和風ガーリック。確かにそれは昨日自分がタレを作って漬け込んだものだ。
エミヤが先程ランサーに対して出したホットサンドは昼食用に用意していたサンドイッチプレートの材料を流用したもので。元が同じだからこそ、この弁当の中身にも彼が下準備をしたものが多く含まれている。
ブーディカの手で完成させられたそれらは、彼女の気遣いを纏うことで己が作った場合とは別の姿を見せているのに、味を決めたのは彼女ではないのだと一口食べただけで指摘されるのは擽ったい。
二種類の肉それぞれを食べ比べ、味わって飲み込んでから、当たりかと喜ぶ男は嬉しそうに笑った。
エミヤはもちろん定番品も作るが、洋食なのにどこか和風アレンジがされていたり、和食でよく使われる食材なのに見た目は洋食といった、少し捻ったものをよく作る。
純粋な和食なら玉藻の前や頼光が、洋食ならブーディカやマルタらがいるから、差別化するために自然とそうなったというのが真相だったが、現代ならではのアレンジはマスター受けがいいことも無関係ではない。
例外としてタマモキャットも和洋中なんでも作るが、彼女の場合その格好にも関係しているように少々特殊な設定が付加されているため今は考えないことにする。
自分の味付けはそんなにわかりやすいかと問えば、いい意味でと応えがある。
次のサンドイッチが一瞬で消えていった。
きちんと咀嚼して飲み込んでから口をひらく。
「なんつーかさ、アンタの作るものって、どこかしらマスターの嬢ちゃんが喜びそうな味なんだよな」
それは悪いことではないと男は告げる。
期限なく続いていく生活だからこそ、気負わず慣れたものを食せるというのは大事なことだ。一番マスターに近い時代を生きたエミヤがその役割を担うことになるのは必然だと続ける。
「だいたい、今となってはアンタが作ったものがわかるのは俺だけじゃねぇよ。ボロボロの人間達を前に、最初に食生活の改善を言い出したのはアンタだろ。そして生き残った者達の好みを把握し、それを加味した食事の提供が可能だった……アンタが作ったものを喜ぶ連中が多いのは、そういうやつの積み重ねの結果、なんだろうさ」
厨房に詰めているサーヴァント達が作るものは、方向性こそ違うが、それぞれどこか家庭的と言える安心感があった。だからこそ気を張らずに摂取でき、どこかほっとするそれらに救われているのだと、男は食事をする側の意見を代弁する。補給が見込めない中でもあれこれと足掻いた人理修復中の食堂事情を、こんな風に振り返る余裕ができたのはいいことなのだろうと穏やかな口調が告げた。
最近になってようやく本格的に解放された全サーヴァントへの食事提供は、そんな安心感をあっという間に古今東西の英雄達にまで広げてしまったのだと笑って、サラダを咀嚼し、ミニコロッケに齧り付く。
「持ち上げても何も出ないが」
言葉には隠しきれない照れが混じった。
「んなもん最初から求めてねぇよ。だが、現界が長くなればサーヴァントだろうが生前の生活に引き摺られるってのを実感しちまってるからな。閉鎖空間の中でも美味い食事ができるってのはいいもんだと思ってる奴はアンタが思っている以上に多いって話だ」
「……そうか」
他にどう返答していいかわからず、青年は頷くだけにとどめて、あとはお前の分だと言わんばかりに残された食事を再開する。
食事を盾にされて様子見に送り出されただろう彼は、エミヤが食べ終わるのをただ待っているのに飽きたのか何気ない視線がきょろりと周りを見回した。
「で、アンタは何を作ってたんだ?」
首を傾げる様子は自然で、青年は答えに迷う。教えるということは彼をこちら側に引き込むということだ。
眉を寄せて、どう答えるかを思案する。
その様子を見た紅榴石の瞳がついと細くなって、探るような色を宿した。
「また一人でなんとかしようとしてるって話?」
「いいや、今回はそうではないよ」
否定は即座に出てきたのに、続ける言葉は躊躇いのためになかなか音にならない。ようやくマスターからの連絡事項を見たかと尋ねれば、目を見開いて首を傾げる。
「思い当たらないのなら、秘密ということにしておこう」
「なんだよそれ」
わかりやすく頬を膨らませて不満を表した彼に、ふふと笑ったエミヤは、パンの最後の一欠片を飲み込んで、ごちそうさまと告げた。
「少しは魔力も回復したか……助かったとブーディカと別クラスの君達に伝えてくれ」
「……最初からわかってたのかよ」
弁当箱を包み直してから立ち上がる。しらばっくれ損だと髪をかき回しながら見上げてくる男の顔が苦い。
「まあ……良し悪しはともかく、伊達に長い付き合いではないからな」
指し示したのは水差しとグラス。
「どちらが先に言い出したのかはわからんが、弁当はともかく、その水を用意したのはキャスターだろう。ならば君を焚き付けたのはランサー、ということになる。さしずめ手を離せないから様子を見てきてくれというところか」
そこまでわかれば簡単に答えに行き着くと笑って、貧乏クジだと告げる。
特にバレても問題はないと思っていたからだろう。歳若いクー・フーリンは予備動作もなく立ち上がると、真っ直ぐにエミヤの前に立った。
「言っておくが、メシ云々抜きでも俺は引き受けたぞ」
「知っているよ。やはり君も、クー・フーリンだからな」
「ならいい」
どこまでも逸らされない視線が交錯する。
力を抜いたのは同時で、お互いの口元には苦笑に近い笑みが浮かんだ。

(中略)

「狂王。もう逃げないから、解いてはくれないか」
返事は無かったが、するりと弛んだ尾が答えを示した。
先がまだ少しだけ前に回っているのは警戒のためだろうか。ひとつ苦笑を置き去りに、青年は背に触れる尾に寄りかかって、一際大きく上がった花火を見上げた。
特大に咲いた金の光が落ちてくる。どおんと腹に響く音はそれまでのものよりだいぶ遅れて。
今上がったのはいわゆる尺玉、というやつだろう。
あちこちから溜息が零れ、そのまま闇に溶ける。
十分な余韻をもたせてから、ぽつりぽつりと柔らかな光が灯った。暗闇に慣れた目でも眩しくないようにと光量は抑えられているが、ゆるりと連なるそれが示すのは部屋の出口だ。
目の前を一人、また一人。
ゆらと揺れたそれらに促されて、入り口付近に居た者から少しずつ退出していく。
それは人もサーヴァントも例外ではなく、最終的にその場に残ったのは空間を支えていた何人かのキャスターと、花火の制御をしていたダ・ヴィンチにバベッジ、マスターとマシュ。そして屋台組の面々に、まだエミヤを緩く拘束したままのオルタのクー・フーリン。
もはや拘束とも言えないほど遠巻きにエミヤの体を囲っている尾の向こうにマスターの少女がしゃがみこむ。
「ねぇ、エミヤ。驚いた?」
「……ああ」
いつの間にか自分以外の全員が仕掛け人になっているとは思わなかったと苦笑する。
「じゃあさ。普段はしないようなこと、してみてどう?」
問いを投げる唇が震えるのを誤魔化して、少女はまっすぐに弓兵と視線を合わせた。
誰も声を上げない。呼気すらもひそめられた静けさがその場を支配する。
「たまには驚かされる側というのも悪くはないと思うよ。少なくとも君の……いや、君達の表情を見れば楽しんでくれたのだとわかる。私に対する扱いも含めてね」
「うーん……ま、いいか。エミヤだもんね」
半分だけ諦めた声音。溜息を逃しながら視線を上げた少女が目にしたのは、クー・フーリンの名を持つ同一存在の細められた瞳。
その答えで十分なのだと、彼らの表情は語っていた。だから少女もこのあたりで引いておくことにする。
「オルタ、突然だったのに対応してくれてありがとう。この瞬間に私からの指示は解除するから、あとはオルタが大丈夫だと思った時に解放してあげて」
短い了解の返事にエミヤが横から声を上げる。
「オルタ、その……片付けの残りもあるし、できれば今すぐに解放してほしいのだが」
「そんなモンはアイツらに任せておけ。テメェはしばらくそのままだ」
「なぜそうなる!?」
理由を質す問いは、途中から明らかに不機嫌になった声と、強くなった拘束に押しつぶされて途切れた。混乱した頭で疑問を浮かべる青年に返ったのは細められた瞳だ。
「は……え?」
「怪我をしたくなければ大人しくしているんだな」

(中略)

ぽつり。
誰も居なくなったはずの部屋に影がひとつ。
驚かせたいからと一人で始めたはずの準備は結局何人ものお節介に手伝われて盛大になり、マスターは喜びながらも働かせたかったわけじゃないと怒って、最終的には全員仲良く強制花火鑑賞となった。
片付けに関しても同じ。酔っ払いを中心に怒涛のごとく行われたそれは、見事としか言いようがないほどで。食器や食べ残し、ゴミなどは屋台組の面々が片付けるまでもなく纏めて厨房に返却され処理されていた。
厨房側で分別指示を出したのはロビンフッド、会場側を仕切ったのはベオウルフだったと聞いたのは全てが終わった後。厨房側は料理をすることがあるために食器や諸々の場所を把握している清姫やマルタなどが手分けして処理をしてくれていたし、会場側は参加者全員が責任を持って己の周りを片付けながら退室したため、屋台を解体する頃には綺麗に元の素っ気ない空間に戻っていた。
そしてその屋台すらもすでに撤去された空間には大勢が集まった花火大会の面影はどこにも無く、今は祭りの後の寂しさだけが部屋を満たしている。
全員が退室したはずのそこに戻ってきた青年は浴衣姿のまま。作業中にしていた襷だけが外されて、少し皺になった袖は柔らかく腕を覆っている。
軽く目を閉じて仰いていた彼の口元にゆると笑みが浮かんだ。近く、もう一人の気配。
祭の後の余韻に浸るかのようなそれを邪魔しない程度の電子音がシミュレーターの起動を告げる。
「よぉ、弓兵。デートの約束はまだ有効かい?」
軽口には最初からそのつもりだろうと返して。青年は瞼を持ち上げた。
周囲の景色はシミュレーターが起動したことで緩やかな波打ち際に変わっている。時刻は夕暮れ。寄せては返す波の音は耳に心地よい。
「さて……デート云々はともかくとして、私を誘ったのはランサーだったと思ったのだが、いつの間に入れ替わったのかね」
「そいつぁまあ……色々とあってな。譲られたというか譲らされたというか」
楽しげな笑みと共に紡がれるのはどこか曖昧な言葉。
さくりと砂を踏んで弓兵の前まで歩を進めた男は同じように浴衣姿のままであった。ひょこりと彼の背後から顔を覗かせた二匹の白い犬がそれぞれ咥えているのは竹製らしい持ち手がついたかごと、同じく持ち手のついた小さめのクーラーバッグだ。エミヤの表情が一瞬緩む。
「事情は説明するから、ちと付き合ってくれや」
砂の上にシートを広げてから下駄を放り出して上がり込み、ぽんと隣を叩く。
衣服が乱れると唸る弓兵に対し、どうせ二人しか居ないのだから固いことは言うなと笑って、男は付いてきていた犬達から荷物を受け取った。
その犬達までがシートの端にちょこんと座り、立ったままの青年を不思議そうに見上げてくるのだから降参するしかない。