アイドル宣言をしたら大変なことになってしまった!

 遠くの地平に向かってゆっくりと太陽が落ちていく。
 海も空と同じ色を映し、あたりは紅の薄紗をかけたかのように穏やかに色付く時間帯。それも少しずつ色を失い、白く溶けた後から藍の闇が忍び寄ってくる。
 朱雀領ルブルム。
 その中心であるペリシティリウム朱雀を内に抱える魔導院は、大陸とは橋一本で繋がった島に鎮座している。
 島の形状は外敵の侵入を最小限に抑えるつくりになっているため、陸地側に設置されているテラスからは、近くの海から遠くの山並みまでをよく見渡せた。
 座学を終えた候補生達が休憩にと訪れることも多い場所だが、そろそろ夕食時に近付いてきたこともあり、ほとんど人影はない。
 深く息を吐いて、中途半端な長さで切りそろえられた髪を風に遊ばせた青年は壁に凭れたまま太陽が姿を隠すのをぼんやりと眺めていた。
 最後に残っていた男女が楽しそうに笑いながら移動用魔法陣へと消える。完全に人影が絶えたテラスで、彼はゆっくりと瞼を落として息を吐いた。
 どこか遠くで人の声がするが、吹き付ける風がそれを散らし、束の間の静寂をその場にもたらす。渦巻く風に誘われるように一歩を踏み出した青年は、そのまま手すりの側まで寄って遠くに視線を投げた。
 白虎との戦争がはじまり、常に忙しない中では、たとえわずかでもこういった時間は貴重だろう。久しぶりに一人のテラスを満喫してやろうと身を預けたところで、背後で魔方陣が稼働する気配がする。
 ばたばと足音が響いたことで、自分の口から盛大に落胆の溜め息が漏れたのが分かった。
「びっくりしたなー」
 落ち着いた時間を堪能しようとした矢先のことで、肩すかしを食らったことに内心で悪態をつきながらも気付かないふりをしていると、突然声をかけられて驚く。
「あ、ここにも9組発見!!」
 間違いなく己を示す言葉には振り向かざるをえない。
「いきなりなんだい!?」
「えーっと。カトリ、だったよね? 僕ジャック〜。よくここで会うよね〜」
「ああ、知ってるよ」
 キングともナギともわりと仲がいいだろうと続ければ満面の笑顔になる彼に、嫌な予感が脳裏を掠める。
 とっさに後ずさろうとしたが、手すりに阻まれ失敗に終わった。
「さっきキングにも聞いたんだけどさ〜、君は何ができるの?」
 唐突すぎる問いかけに疑問符を飛ばした青年に対し、返って来たのは、9組はアイドルや芸人を目指す芸能人育成クラスとして密かにバイトをしているという噂を聞いたため、見かけたら何を目指しているのか聞いているという内容のことだった。
 強面で近寄りがたいとよく言われるキングが何をやったのかはすごく気になるところだが、そこは後から本人に聞けばいいだろう。同時にそんな噂を流した人物にもなんとなく思い当たってしまって内心だけで溜め息を落とす。
 該当者は後できっちり絞めてやろうと誓ってそっと瞳を隠す。次に顔を上げた青年の顔には、笑みとちょっと勘違いしたかのような自信が張り付いていた。
「そんなもの決まっているじゃないか!」
「え……と」
 ぱしり。
 大仰な動作で彼の手をとってその場に膝をつくと、困惑している彼を無視して息を吸い込む。
「キミはそう……例えるなら、私のラストエ……」
「わあああああああ!」
 紡ぎだした台詞に覚えがあったのだろう。傍で見ていてわかるほど肌を粟立たせたジャックが叫びだした。
 それでも手を離さずに最後まで言い切ってから、おもむろに立ち上がり、にっこりと笑いかける。
「さて、ぼくの演技はどうだったかな?」
 わざとらしく問いかければ、ひきつった笑いとあたりさわりのない感想が返った。
 せっかく全力で応えた相手にその態度は失礼じゃないのか他の人にもそんな態度なのかとさらに問を重ねれば、全速力で逃げていく。
 溜め息をひとつ。
 すっかり暗くなった空に逃して苦笑する。
「まったく……事情は分からなくもないが、他のごまかし方はなかったのかと言いたいね」
 さて、同じ被害を被った者を誘って思い当たる人物に会いに行こうと、青年はテラスを後にする。
 タイミグよくと言おうか。ちょうどエントランスに出たところで、被害者その一と鉢合わせた。
 あきらかに不機嫌そうな表情から察するに、彼が何を披露したのかは聞かないほうが懸命だろう。
「やあ、キング。ちょっとこれからナギのところに行こうと思うんだけど一緒に行かないかい?」
 普段と変わらない、何の変哲もない声の掛け方だが、ちらりとこちらを見たキングには伝わったらしい。目元だけ緩んだ表情が、肯定を語る。
「連れ出すか?」
「そうだね。秘密の話もしたいし」
 お互い前を向いたまま交わす会話の内容は不穏。
 低い囁きは夕食後で人通りの多いエントランス内では目立たず、誰もこちらに注目することはない。
 軽い足取りで軍令部に続く階段を上がって、二人は珍しい組み合わせだなと言いながら振り返ったナギに声を掛けた。
「やあ、ナギ。ちょっと聞きたいんだが、キングのところのかわいこちゃんを知らないか?」
「はぁ!?」
「ジャックと一緒に居たって情報があったから、君なら何か知ってるかと思ってね」
 表現は悪かったかもしれないが、まるっきり嘘というわけでもない。
 最近キングが任務中に懐かれた子サボテンダーを可愛がっているのは周知の事実だ。
 反応を楽しむように眺めるカトリと、少し眉を寄せたキングを見比べて理解したのか、ナギは深く溜め息を落とした。
 キングに人間の彼女でも出来たのかと焦ったと洩らしてから首を傾げる。
「確かにさっきジャックには会ったけど見かけなかったぜ……ってなんなんだよこの手は」
 まるで危険人物を捕獲するかのようにキングには肩に腕を回され、カトリには手を掴まれて文句を零すナギを無視して、二人は八方塞がりだのこうなったら人力で探すしか無いだのという会話を交わしながら自然に彼をエントランスから連れ出す。
 ナギもそれに合わせるような内容で抵抗したため、周りに居た者たちは何かを探すのに必要な人材確保に来たのだとしか思わないだろう。
 移動先は9組の寮。キングの部屋。
 入った瞬間に、誰だそいつらというような態度でくるくる回るサボテンダーが部屋の主と客二人を出迎える。
「……ちゃんと部屋にいるじゃねぇかよ」
「もちろんそれが本題だとは思っていないだろう?」
 カトリの質問にまあなと笑ったナギは、しきりに存在を主張するサボテンダーに手を出した。かまってくれる人だと認識したのか、サボテンダーはその腕を辿って彼の頭の上まで辿り着く。
 楽しそうにひょこひょこ跳ねるサボテンダーの姿を見るキングの表情は心なしか切なそうに見えなくもない。
 そんな彼は、軽く首を振ってから、机の前から椅子を引っ張ってきて腰を落ち着けた。客人二人は促されて寝台に腰を下ろす。
 二人と一匹を見比べてから、カトリは口を開いた。
「じゃあ本題に入ろうか」
「……お前がジャックに言った噂のことだ」
 後を引き継ぐキングの言葉に、すぐに何を指しているのか思い当たったらしく、ナギの口端が緩む。
「ああ、もしかしてバイトの件か?」
「そうだ」
「ナギが面白い言い訳をしたせいでぼくとキングは大変な目に合ったというわけだ。もっとも、ぼくは少しやり過ぎたかもしれないけれどね」
 くつくつと笑うカトリに、お前何やったんだよと顔を引きつらせるナギの頭からサボテンダーが飛び降りる。
 器用に回転して彼の膝の上に着地したそれは、もう一度跳んで、キングの手に収まった。
「それはどうだっていい。問題は俺たちだけがそういう目に合ったということだ。もっとも、犠牲者はまだ増えるかもしれないがな」
「そうそう。だとしたら言い出した君がやらないのは不公平だよね?」
 仏頂面のキングと笑顔のカトリに挟まれて、ナギは自分に何をしろと言うつもりだと引きつった声を落とす。誤魔化すための方便はお手の物なはずだが、さすがに同業者に迫られれば嫌な予感しかしないらしい。
「確か芸人やアイドルを目指してる、だっけ?」
 ジャックに告げられたことを思い出すように、カトリは首を傾けてキングを見た。彼らはお互い相手が何を披露したのかは知らないが、どう考えてもその二択ならアイドルという柄じゃないことだけは分かる。
「そう聞いたな。ならアイドルだろう」
「賛成」
「いやいやいやいや、ちょっと待って。なんだって俺を無視して二人で結論出してるの!」
 ナギの叫びが割って入ろうとするが、すでに結論を出してしまった二人には通用しない。
「ということで、今後君はアイドル。まあ、今とあまり変わらないかもしれないけどね」
「期待している」
 カトリの宣言に重々しく頷いたキングに、何でだよと抗議するナギの声は弱々しい。それもこれも自分の言葉が招いたことだと分かっているため、強くは言えないのだろう。
「まあ、そんなに悪い話じゃないよ。キングみたいに無口で押し通せるキャラじゃ無い限り、道化じみた言動はいろんなことを隠すのに都合がいいからね」
 その態度はカトリ自身にも当てはまる。とっさに役者の真似事が出来るほど、普段からちょっと大袈裟な言動をとっている自覚はあった。
 今でも時々やっているだろうと笑う青年には、ナギも苦笑で応えるしかない。
「それをもっとパワーアップさせろって?」
「そういうこと」
 一見分かりにくいが、ものすごく楽しんでいるらしい二人を前に、ナギは諦めたように深く息を吐いた。
「……わかったよ」
 おもむろに立ち上がった彼はくるりと回転してポーズを決めながら、わざとらしい笑みを張り付けて見上げた二人と視線を合わせる。
「俺は、女子からも男子からも慕われるみんなのアイドル、ナギだ!」
 へらっとした笑みとともに紡がれる言葉に、座ったままの二人は無表情。
「気持ち悪いな」
「そうだね」
「あのなぁ……お前らがやれって言ったんだろうが!」
 あまりの酷評っぷりに、ナギはがっくりと肩を落として溜め息を吐いた。だが、そんな反応に対し、キングもカトリも全く動じない。
 まあそのうち慣れるかと笑って、青年はおもむろに立ち上がった。
「じゃあぼくはバイトがあるからこれで失礼するよ」
「あ……悪い」
 思い当たることがあったのか。ナギの声が低くなる。
 隣のキングも眉間に皺を寄せて青年を見上げていた。青年が告げた用事の内容は、元を正せばナギが振ったものだ。つまりは彼からの仕事を一番こなしているキングも内容を知っている。
 くつり、カトリは笑う。
「何がだい? アイドルはそんなこと言わないよ」
 やり直し。
 ダメ出しをすれば、一瞬複雑そうな表情を見せたナギの表情が不格好に歪む。
「サービスしてやるから、早く帰ってこいよな」
「……まだまだだね。ぼくが帰ってくるまでにもう少し練習しておくように」
 ちょうどいいからキングはその相手役をしろと言い置いて、青年は部屋を出た。
 このバイトは、最近忙殺されているキングを休ませるためにナギが自分に振ったもの。茶番の相手程度なら強制的に休む理由にもなるだろう。
「さて……あまり見くびられては困るからね」
 確かに彼らは優秀だが、自分をはじめ、他のバイト仲間も負けてはいないという自負がある。だからこそサービスはともかく、さっさと終わらせて戻ってこようと。
 言葉にしない勝手な約束を部屋に置いて、青年は夜の闇に紛れていった。