誰そ彼の影

「ナギ! こっちこっち!」
自分の姿を見かけるなり大声で名前を呼びながらぶんぶんと手を振る待ち合わせ相手を認めて、ナギと呼ばれた少年は足早に彼女に近寄り、わずかに眉を寄せた。
「……あまり大きな声で呼ばないで下さい」
ただでさえあなたは目立つのに、と。溜め息と共に小言を吐き出す。
「ごめんごめん。つい……ね」
ぺろりと舌を出して軽く謝罪を落とした彼女は、一目見て分かるほど浮かれた様子で少年に向かって手を伸べた。
首を傾げる様子に苦笑して無理矢理その手を取り、スキップでもするように軽やかに歩き出す。まるで歳の離れた姉弟のようなその様子に、周りで見ていた誰かがくつりと笑みを零した。
ふふ、と。歩きながら楽しそうな笑い声。
何をニヤけているのかと問えば、まさかデートに応じてくれるとは思わなかったと、これまた浮かれた答えが返る。
その表情は緩みきっていて、少年は手を引かれるのに任せたまま盛大に溜め息を落とした。
「ミワ候補生……」
「あー、ダメダメ! デートなんだからそこはちゃんと『ミワさん』って呼んでくれなきゃ!」
「……それ、自分で言ってて恥ずかしくないですか」
浮かれるミワと対するナギのテンションは低い。もっともな指摘に一瞬怯んだミワだが、すぐに平気だと返した。
足は止めないまま、肩越しに振り返って満面の笑みを浮かべる。
「だいたい、ナギにとってもメリットのある提案でしょ?」
「……どういうことですか」
「こんな時に堅苦しい呼び方してると、正体ばれるよ?」
指摘されれば、確かに。魔導院内であえて相手の立場を明確にするような呼び方をしている者など、教室で新顔を紹介する教官か、院生局の職員くらいのものだろう。
諜報員として基本的なことすら抜けてしまうほど目の前の人物に振り回されている自分を認めたくはなく、ナギは素知らぬ顔で引かれている手を握り返して隣に並んだ。
精一杯、表情を緩めて笑顔とよべるようなものを作る。
「どこに向かってるんですか、ミワさん」
身長差故に首を傾げて見上げるようにしたナギに対し、ミワはどこか困ったように目尻を下げて頬を染めた。
「と、とりあえずは必要物資の買い出しかな。いざという時に動けませんじゃ困るしね」
「買い出しって……必要物資は支給されませんでしたか?」
身軽に動けないと困るため、ポーションやエーテル等の薬品類の数は制限されていたものの、武装研が開発していた耐寒装備を応用したインナーやコートなど、極秘任務という性質を加味した上で通常任務に出るのと変わらない見た目の制服の形をした防寒用の装備一式は四天王それぞれに支給されている。
「んー……まあ、確かに色々貰ったしあれで困ることはないのかもしれないけど、ひとつくらいは自分が慣れてて信用できるものがあったほうがいいかな、って思うのよね」
「信用できるもの……ですか」
「そっ。あ、別に武装研の装備を信用してないわけじゃないのよ? どっちかというと気分的なお守りに近いかな」
少し考えてから視線を遠くに投げて、不安を押し隠すような不格好な笑み。
彼女が普段なら見せない表情に驚いたのか、ナギはそれ以上深く問うことはせず、黙って連れられるままに下の街に降りた。
朱雀島内、魔導院からは見るとリフトを利用して降りた先にあることから候補生の間では下の街、朱雀島の入り口近くに住む住民にとっては上の街とよばれる場所。
魔導院関係者や、出入りを許されたものが住み、商売を営む人々が行き交うそこは、外の街よりも手厚く魔物から守られ、安心しきった人々が独特の活気を生み出している。
慣れた様子でナギを案内し、知っていなければ見逃すだろう路地にある店に入ったミワは、一通り棚を物色した後で首を傾げながらうーんと唸って強面の店主に声をかけた。
顔見知りなのだろう。話が弾んでいる彼女を横目に、ナギは一人、じっくりと店内を見てまわる。
ポーションやエーテル等の薬品類から魔石を使った品々まで。実用一辺倒の品揃えとあからさまに強面な店主の組み合わせは、若い男女のデートで赴く場所にしては似つかわしく無いが、元々その呼称自体便宜上のことなので二人とも気にしている様子は無い。
しかしミワが首を傾げたのも分かるように、棚には空きが目立った。目にする機会の多いポーションや炎や氷の魔石の欠片、プリンの体液などは分かるが、話に聞くだけで実際に見たことの無いものもいくつかある。
「確か入荷は今日だって聞いてたけど、この様子だとなんかあった?」
「悪いなぁ……しかしいくらおまえさんの子でもこんなとこに連れてくるのは教育上よろしくないんじゃないかい?」
「こんな大きい子が居るわけないでしょ! それにちゃんと見てよね、彼は魔導院の人間ですぅー」
話を逸らさないでくれとむくれるミワは、連れをダシにからかった店主に対し、全力で否定して楽しそうに笑う。
対してダシにされたナギのほうはどう反応していいか分からずにその場に硬直した。
「あー……言われてみれば確かに。あんた嬢ちゃんとこの組の従卒か」
「えっと……まだ正式なものではないのですが」
正確には従卒ではないのだが、今のナギが身につけている衣服は従卒と同じものであるため、肯定しておくほうが楽だと判断した少年は、曖昧ながらも頷いて、ミワに色々と教えてもらっているところなのだと告げた。
「そりゃ大変だ。この跳ねっ返りのお守りは疲れるだろ」
「そうですね」
「あ、ひどっ!」
即答のナギに笑う店主と泣いてみせるミワ。そんな中でも冷静な少年は店主に向かって問いかけた。
「結局、ミワさんが欲しいものは無かったのですか?」
「そうみたいねー……どうしたもんか」
本気で困った様子のミワに、店主が眉尻を下げて髪の毛を掻き回す。
「うーん。こっちとしてもお得意さんに売ってやりたいのはやまやまなんだが、面倒なモンスターが近場に出没してるとかで運び人がコルシで足止めされてるみたいでなあ」
どうしようもないのだと告げる店主は、彼自身も困っているのだといった表情。
「コルシ……ですか。そんなに遠くは無いですね」
チョコボを使えば今からでも普通に往復できる距離にある街の名前にナギは考え込む。面倒なモンスターというのが気掛かりではあるが、おそらく店主も詳しい事情までは分からないのだろう。
行く気か、と問われて頷く。
「場所も近いですし、チョコボが使えるでしょうから自分が行って取ってきます。その運び人の方から直接受け取ることは可能でしょうか」
「それなら一筆書いてやるよ。嬢ちゃん、いつものでいいんだな?」
「待って待って! 私も行くってば。ナギ一人に行かせられないもの」
一人でも大丈夫だと言うナギを制し、ミワはさっさと店主と話をつけてしまう。ついでにせっかくのデートなんだから何か美味しいもの食べて帰ってこようと笑うミワに、ナギは呆れたような溜め息を落とした。
「おいおい、そんなガキに手を出すのはやめておけよ」
「ちょっとどういう意味よ! これは健全な任務前のお買い物ですぅー」
「こんな店に来ること自体健全じゃないだろうが」
からからと笑う店主は、さすがに年の功もあってミワをからかうのにも慣れている。
隣に立っていたナギは、表情も買えず、至極真面目な声音で手を出された覚えはありませんが、特別な人なのは確かですねと返して彼の笑いを凍り付かせた。
「な、ナギ! ほら、行こう!!」
「はい。じゃあ適当なところでチョコボを呼びましょう」
焦ったミワがナギを促し、彼らは慌ただしく店主に別れを告げ、その足で魔導院を出た。
最後に店主がにやりと笑った気がしたが、追い立てられるように店を出たナギはそれを見ていない。
人混みを避け、辿り着いた荷物留めになっている一角でナギは己のチョコボを呼び出すために身につけていた小さな笛を吹く。少し間があって現れたチョコボは、元気よく鳴いて伸ばしたナギの手にくちばしをすり寄せた。
その後で、ミワに対しては伺うような仕草をする。
「これあなたの?」
「はい。自分にあてがわれているチョコボです」
賢い子なのだと。一瞬だけナギの表情がわずかに緩む。
「後ろでも大丈夫ですか?」
「もちろん。ナギのチョコボだもの。乗りやすいほうで構わないよ」
「自分がもっと大人だったら良かったんですが……」
二人乗りをする場合、どうしても後ろに乗るほうに負担がかかる。聡いチョコボは主でないものにリードをまかせても問題は無いのだろうとは思うのだが、体格差があるため、ナギが後ろに乗るのは少々厳しい現実があった。
妥協案として、ナギはチョコボの首元に備え付けられた装備の端を掴み、ミワはナギに掴まるというよりはナギを抱え込むようにして鞍の前方にある取っ手を握る。
「とばします。舌を噛まないでくださいね」
「ダイジョーブ。私だってチョコボくらい乗れるわよ」
くつくつと笑うミワの振動が、触れている背を通じて伝わる。女性特有の柔らかい感触が触れるのを意識しないように努めながら、ナギはチョコボを走らせた。
朱雀島から本土に繋がる橋を渡り、そのまま高台に連なる崖とマクタイの街を横目に見ながら進路を北西へ。天気は良好で、視界もひらけており、見渡す限りに障害物らしきものは見えない。
だが、見渡す限り何も無いと思っていたのは人間だけだったようで、軽快に風を切って駆けていたチョコボの首が一瞬震えてくちばしが高く上がる。
騎乗者に注意を促す動作を見て、ナギは素早く周囲に視線を巡らせた。
同じように異変に気付いたミワも警戒の色を見せる。
「ナギ、右!」
ミワの声が飛ぶ前にナギはチョコボの進路を左に逸らしている。それまで居た位置に光の柱が立って耳障りな音が鼓膜に届いた。
「バーティゴ!? なんでこんな平野に……きゃっ」
「ミワさん!」
「あっぶな……!」
前に乗ったナギを押しつぶすようにして体勢を低くしたミワの頭上を火球が通りすぎていく。
「ボムにプリンまで……しかも囲まれたかー」
進行方向を高台よりにした彼らを囲むように、左手からボム。右手からアクアプリンの群れ。後方からはバーディゴが迫る形になっている。
いくらチョコボといえど切り立った崖を駆け上れるはずもないから、実質的に逃げ場は無いという状況になった。
ちょっと歓迎されすぎじゃないかと軽口を一つ。
「こうなったら仕方ないか。朱雀四天王の力、みせてやろうじゃないの」
ふわり、魔法の力が動いて。止める暇もない。速度を落としていたとはいえ、まだ走っているチョコボから身軽に飛び降りて、ミワは三方から迫り来る魔物と対峙した。