夢の尾

 ゆらゆらと姿が揺れて、周りとの境目が曖昧になっていく。
 しかし自分はそれが夢だとはっきり認識していて、どこか他人事のように己の状態を外側から観察しているのが奇妙だった。
 まるで世界から切り離されたかのような浮遊感に身を任せて目を閉じる。
 瞬間、夢から切り離される気配がした。
 目を開けた先は白い天井。
 窓が無い代わりに壁にはめ込まれた環境ディスプレイが朝の風景を映していた。
 やはり夢だったと安堵すると共に、己が招いた事態に歯噛みする。ここしばらくはそんな状態が続いていた。
 ぼんやりとしたまま、ベッドから下りて端末を立ち上げ、着替えを済ませる。
 閉じこめられているということを除けば普段と全く変わらない。起きる時間も、着替える服も、完全にいつも通りだった。
「おはようございます、ルーファウス様」
 見計らったかのように黒髪の男が姿を現す。いや、実際その通りなのだ。誰も彼に告げなかったが、この部屋にプライバシーが存在しないことをルーファウスは既に知っていた。
 長期出張扱いになっているのを不信に思う者も居ないだろう。閉じ込められていても仕事上のメールは普通に送受信できる。ただし検閲付きだが。
 ルーファウスが現状を反芻していると、男はワゴンを押してさっさとテーブルの上に朝食を並べていく。そんな彼の、普段は後ろのやや高い位置で束ねられている髪は今は下ろされ、肩に遊んでいた。
「また泊まりか、ツォン。ヴェルドの代わりは辛いと見える」
「そんなことはありません。やっていることは変わりませんから」
 真面目に答えを返すツォンに気付かれぬようにため息を逃がして、ルーファウスは用意された席に着いた。
 さほど量はない朝食を取り、その間に前日までの仕事状況を確認する。
 報告を淡々と読み上げるツォンを横目で見て、今度は隠そうともしない溜め息を落とした。
「何か?」
「お前らの部長にばかめと言ってやれ。私からだとな」
 無能者めが。吐き捨てるルーファウスの口調は嫌悪すら滲ませている。
「……聞かなかったことにしておきます」
「どうせメールも削除するのだろう。なら声にするほうが多少はマシだ」
 声の中に苛立ちを感じて、ツォンは持っていた情報端末から顔を上げた。
 ルーファウス様。名を呼ぶが、先が続かない。
 この場で言ったことが伝わらないのが分かっていて、それでも言わなければやっていられない。そんな風にツォンはルーファウスの言動を推測する。同時に、外部とのやりとりの全てを監視されているのだと理解しているのだと分かった。
「出してみればいいのではないですか。忙しさのあまり睡眠不足で見逃すこともあるかもしれませんよ」
「……そうだな。昼夜関係なく送られるメールの為に毎日泊まり込んでいればミスくらいしてもおかしくない」
 くつくつと笑うルーファウスの瞳は、明らかにそれはお前のことだろうと語っている。
 ツォンは返答を避けて、テーブルの上を片付けると、その場を辞すために踵を返した。
 その背に軽い呼びかけがぶつかる。
「私の部屋から本をとってきてくれないか」
「本……ですか?」
「ああ。読みかけの……ベッドサイドの棚の上か引き出しの中にある」
 ルーファウスが告げた書籍名に害は無いと判断して、ツォンは頷いた。
「了解しました。では夕方にでも」
「ああ」
 一礼してツォンが退室したのを見届けたルーファウスは、立ち上げておいた端末に向かった。
 律儀にも先ほど口にしたことを実行するためのメールを作成し、送信ボタンを押す。
 届いても届かなくてもどちらでもよかった。どちらにしろ、次に顔を見せるツォンの表情は苦いだろうと想像できるから、自然と口元は緩む。
「過労で倒れないといいがな」
 心配そうな言葉とは裏腹に、ルーファウスの目は笑っている。
 そこには、少しでも負担を軽くしてやろうという殊勝な考えは見えなかった。
 他にも届いていたメールを淡々と処理し、情報を収集するルーファウスは閉じこめられていると思えないほど自然体を崩さない。
 実際に聞いてみれば、外に出ることができずとも問題はないという答えが返っただろう。
 名ばかりの副社長ではないことを証明するために、彼が割いた労力が娯楽としての外出を奪い取った結果、一種の中毒症状をおこしているのだと言ってもいい。
 彼の父親であるプレジデントが、いずれきちんとした形で会社を譲るつもりでいると、崩れ落ちる前の魔晄炉の中でルーファウスに告げたヴェルドは、すでにこの会社のどこにも居ない。タークス主任の席には何事も無かったようにツォンが収まり。変わらず栄華を極めて神羅は世界にあり続ける。
 ならばある日社長の首がすげかわったとして、何の不都合があるだろうか。
 ルーファウスは、与えられるのではなく手に入れたいのだと呟いて冷たく笑った。
 そのために自分の身柄や時間を含め、いろいろなものを犠牲にしても、なんの感慨も抱かなかった。
 いつもと変わらない仕事を済ませ、仕事で外出することがなくなった分の時間を娯楽に使うわけでもなく。ただ世界と現状の情報を集めて過ごす。
 朝、ツォンが昼用にと持ってきた包みはテーブルの上に忘れ去られたままで、環境パネルの風景は赤く染まりかけていた。